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摂食障害・体験談と完治に向けて…頑張っている途中

摂食障害(拒食、過食、過食嘔吐、チューイング)になって11年目。夢遊病になったり…アルコール依存になったり…精神病に支配されて11年目に突入しました。最近は少しだけ摂食障害とうまく付き合っていく事を覚えました。まだ戦っている途中ですが、一緒に戦っている方達に出会えれば良いなあと思います★

摂食障害(拒食症・過食症)が治った時期

絶対治らない!!と思い込んでいた摂食障害が、1つの事をきっかけにしてピタっと摂食脳がいなくなった時期がありました!!

 

 

今回は私が経験した一時的にですが摂食脳がいなくなった時期の事を書きます。

※これは経験談なので治療法ではありません。

摂食障害の症状は100人いれば100通りあると思います。

なので絶対的な治療法というものはないと私は思っています。

私の経験談を読んで、こういう人もいるんだなという気持ちで読んでいただければ幸いです。

 

大好きな仕事を退社

 
前記事に書きましたが、私が大好きだった仕事場を退社したのは、摂食障害が原因ではありません。
 
妊娠です。
依存しまくっていた大好きな彼、Kくんの子供を妊娠しました。
摂食障害になって3年くらいの頃でした。
 
職場のみんなもKくんの事は知っていたので、みんなに祝福してもらっての退社でした。
 
 

妊娠して摂食脳が消えた

3年間、支配され続けていた私の過食脳と拒食脳ですが、妊娠をきっかけにピタっとなくなりました。
自分でもびっくりするくらいでした。
 
人前で食べる事が恥ずかしいと思い、Kくんの前でも食べ物を食べれなかった私が、楽しくKくんと食事が出来るようになり、初めてKくんと一緒に焼肉を食べに行ったり、お寿司を食べに行ったり、色々なところへ行きました。
 
こんなダメダメな私にもちゃんと母性本能というものがありました。
「この子を守らないと!!」「この子には私しかいない」という気持ちで自分自身が強くなれました。
 
痩せた、太った、あの人は私より細い…ずっとずっと人目を気にして、他人と比べて生きてきましたが、そんな事本当にどうでもよくなりました。
 
物心がついてからは、ずっと他人と比べて生きてきていたので、他人と比べない事がこんなに楽なのか!と思いました。
 
ですが、そううまくは物事は進んでいきませんでした。
 
 

反対される結婚と出産

 
私と付き合っているうちにダメダメになっていったKくん。
詳しくはこちらを読んでみて下さい↓
 
妊娠が発覚した頃は、ちょうどKくんが鑑別所に入ったり出たりを繰り返している頃で、私の妊娠が発覚した当日は、別の女と浮気をしていました。
 
妊娠が発覚した当日、メールで報告し、Kくんからはすぐに「良かったね!産もう!」と返信がきましたが、当日の夜は会う約束をしていましたが、結局Kくんにはドタキャンされ、会う事は出来ませんでした。
後にその夜、別の女と浮気していた事が発覚しました
 
ですが私はどうしてもこの子を産みたい!と思っていたので、Kくんの浮気は許す事にしました。
 
そしてお互いの親と、祖父母にあいさつにいきましたが…みんなに反対されました。
 
私の親は、Kくんの浮気や鑑別所に入ったり出たりを繰り返しているのを知っていて、私の摂食障害の様子も見ていたので、もちろん反対。
Kくんの両親は、私の事を良く思っていなかったので反対。
 
そしてKくんの家は、特別な宗教のお家でした。
Kくんの祖父母は、「同じ宗教の人間でないと結婚を認めない」ということで無宗教の私は反対との事でした。
 
私の祖父母もKくんのお家の宗教事情は知っていたので、苦労することが分かっていて賛成は出来ないといった感じでした。
 
そしてとどめを刺したのが、Kくんがうちにあいさつに来てくれた時でした。
いつも遊んでいる時のジャージ姿のスリッパであいさつに来ました。
うちの家族からのKくんの印象を下げる事になってしまいました。
 
みんなに反対されまだまだ子供だった私とKくんは心が折れました。
そして、宗教問題が意外と複雑で、私とKくんの間にも徐々に溝が出来ていきました。
Kくんと相談して諦めようという事になりました。
 

諦められなかった子供と心を入れ直した彼氏

そして中絶の相談をしに、産婦人科に行った私ですが、赤ちゃんのエコー写真を見せられると、一瞬にして決意が揺らぎました。
「産みます」と先生に言って、予定日を聞いて産む決心をして産婦人科を後にしました。
 
そしてKくんに手紙を書きました。
産む決心をした事は書かず、今までの思いとこれからのKくんに対する思い、感謝の気持ちを手紙にしました。
その当日Kくんに手紙を渡し、その手紙を読んで気持ちが変わったのか、気持ちが変わって私に会いにきたのかは今でも分かりませんが、その当日に正式にプロポーズされました。
 
ロマンチックでもなんでもなく、仕事帰りの車に乗ったKくんに、駐車場で「結婚してほしい。子供産んでほしい」と言ってもらえました。
 
大好きで依存していたKくんにプロポーズしてもらえた事、そしてKくんの口から子供を産んでほしいと伝えてもらった事、本当に嬉しくて嬉しくて…私は大泣きしました。
 
そして私たちの親、祖父母への説得が始まりました。
 

そう簡単には人は変われない

 
心を入れ直したように見えたKくんが浮気する事はなくなりましたが、悪い事をする日々は続きました。
そしてKくんの当時の収入は12万程度。
田舎でしたが12万で大人2人、子供を育てていくのは難しい金額でした。
 
悪阻がひどくなってきた私は、外にも出れず、大好きだった仕事を退職したのですが、Kくんに「働け」といわれ、また就職する事になりましたが、悪阻で長くは続けられませんでした。
 
Kくんは、仕事は真面目にしていましたが、親への説得は全く協力的ではなく、入籍日も決まらず、新居も決まらず、悪阻でずっと実家にいる私に「働け」「なんでずっと家にいるの?」「なんで俺だけ働かなきゃいけないの?」と私を責めるようになりました。
金銭的な現実的な話をすると、Kくんは怒ってしまって私の不安も積もっていきました。
 
私もこの子を産みたい!この子を守りたい!という気持ちが強く、話が進まないKくんに対してきつく当たるようになってしまいました。
 
そしてKくんは「最近子供の事ばっかりだね。俺の事は?」と私に冷たく接するようになっていました。
 
今思うと一緒に住むのも、入籍するのも、子供が生まれるまで10か月あるので焦らなくてよかったのかもしれません。
ですが過去に浮気を繰り返していたKくんに対して私は不安に思っていて、Kくんの気持ちが変わる前に入籍したい!と当時はとても焦ってしまっていました。
Kくんの気持ちを思いやる心の余裕が私には全くありませんでした。
 

絶望

 
…そして、Kくんが「話がある」と私のお家に来ました。
その直前まで私は新居の物件探しをしていて、住めそうなところの目星はつけていたので、私もKくんにその話をしよう!と待っていました。
 
そしてKくんがお家に来て…「今回は子供は諦めてほしい」と言いました。
Kくんの表情を見て、私はすぐに決意を固めてきたこと、もう何を言っても揺るがない事を察しました。
 
私は言葉が出ずただ泣く事しかできず、Kくんに「何か言う事ない?」と聞かれ、「帰って」とだけ言いました。
Kくんは何も言わず、私の家から出て行きました。
何を期待していたのか…本当に家から出て行ったKくんの後ろ姿を見て虚しくなりました。
 
それから私は数日部屋に引きこもり、何も食べず何もせず、ただただ泣き続けました。
そのころの事はどれだけの時間泣いていたのか今でも思い出せません。
 
その後、私は何とかKくんを説得するために歩み寄ってみましたが、Kくんの気持ちが変わる事はありませんでした。
 

中絶

 
当日、私は母親と一緒に病院に向かいました。Kくんが来る事はありませんでした。
ぎりぎりまで泣いていたと思います。
思い出すと今でも心がズキズキして、こうして書いている間も涙が出てきます。
この頃の話、しっかりと向き合うのは、初めてです。
 
当日、産婦人科まで向かった事、今でも全く思い出せません。
 
ただ覚えているのは、その当日だけいつも以上に悪阻がヒドかった事、手術室に入る直前までトイレで吐いていた事です。
後から、あの時のヒドい悪阻は必死に赤ちゃんが「助けて」と叫んでいたのかもしれないと思いましたが、当日は心の余裕が全くなくて赤ちゃんの叫びに心を傾けることが出来ませんでした。
 
手術の直前まで心の中で、ごめんねごめんねを繰り返していました。
 
 
手術が終わり、目が覚めるとお腹が痛いだけで悪阻が一切なくなっていました。
本当にいなくなったんだなと実感しました。
 
言葉では言い表せないようなポッカリと心に穴があいた感覚がありました。
 
産婦人科の先生は、「術後なのでベッドで休んで行って下さい。」と母親に言ったみたいですが、私は早くその場から消えたくて、歩けないほど痛いお腹を抱えて母親に支えられ産婦人科を出ました。
 
私はギリギリまで産みたいと思っていたので、中絶出来る妊娠初期のギリギリで手術を受けたため、痛みも出血もひどく1週間ほどは歩けず寝込んでいました。
 
手術が終わった夜にKくんから「会いに行っていい?」とメールがきましたが、私はKくんと会う気にもなれず、その後Kくんに会ったのは中絶後2週間が経ってからでした。
 
 
中絶後の記憶は全くありません。
思い出そうとしても思い出せないです。
 
 
初めて妊娠をして、本当に心の底から守りたいと思ったし、初めて生きていてよかったと思い、幸せを感じる事が出来ました。
あの時の言葉では言い表せない幸福感は、今後どんなに幸せな事があっても感じる事は出来ないと思っています。
私を絶望から救ってくれた光でした。
 
そんな大切な命を私は自分で失くしてしまいました
Kくんに中絶を頼まれたとしても…周りに反対されたとしても…私は自分の足で産婦人科に行き、中絶を選びました。
なので誰のせいとは思いません。私の判断でした。
 
今だから、1人でも産む決断は出来た。と思いますが、当時の私はそんなに強い人間ではありませんでした。
 
 

中絶後の彼氏との温度差

 
中絶2週間後に、Kくんに会いました。
私は普通に今まで通りに接しました。
体ももう回復していたので、Kくんの目にうつっている私の姿はとても元気なものだったと思います。
 
Kくんは1度も産婦人科に来た事がなく、手術の当日も術後も私と会っていないので、中絶の重さを全く感じていないように思いました。
 
私は中絶した頃は自分のお洒落に気を遣う余裕もなかったのですが、そんな私に対して「髪の毛伸びすぎ」「肌荒れすぎじゃない?」「汚い」などと色々指摘をされ、私は深く傷ついたのを今でも覚えています。
 
そして中絶後2週間の私に、外でセックスを強要してきました。
私は必死になって断りましたが、そしたらKくんは怒って帰ってしまいその後、他の女の子と浮気をしていたのが発覚しました。
 
Kくんにそんな対応をされても、心にぽっかりと穴が開いた私は、Kくんと別れる事が出来ずずっと依存していました。
 
その後、私は一緒に水子供養に行きたいとKくんに言いましたが、Kくんは友達と遊ぶ約束がある。といつも友達を優先し結局一緒には来てくれませんでした。
 
自分で決心したとはいえ、やはり中絶後は本当に辛くて、私はなかなか社会復帰できず、生きている価値がないとまた思うようになり、自殺未遂を繰り返しました。
 
その様子を見た母親が、危険だと思い1か月ほど仕事を休みずっと私の行動を監視していました。
後から話を聞くと、何度も繰り返してきた自殺未遂とは違い、本当に死んでしまいそうな目をしていたそうです。
 

彼氏と別れる決意

 
中絶してからもKくんに依存していた私は、今回はダメだったけど、後2年経ったらKくんと結婚出来るかもしれない!と思っていました。
いつかは結婚しようね。とお互い言っていましたが、どこかでもう結婚は出来ないんじゃないかと気づいていたのかもしれないです。
 
中絶後2か月ほどはKくんと変わらない付き合いをしていました。
 
ですが突然、周りの友達から話を聞いたり、たまたま知り合った女の子がKくんと付き合っていたり(二股ですね)Kくんの浮気話が、調べてもないのに私の耳に入ってくるようになりました。
 
偶然が重なって次から次へとです。
 
中絶当日もKくんは別の女の子と会っていた事が判明し、私は目が覚めました。
きっと神様がもう別れた方が良い。と言ってくれているかのように、別れる方向に行くような不思議な現象がたくさん起こりました。
 
神様がそう言っている。もしかしたら赤ちゃんがダメなKくんと別れた方が良いと天国から言ってくれているのかもしれない。と…。
良いように解釈しすぎ、そんな事はありえないと思われるかもしれないですが、彼氏依存をしていた私は、そういう目に見えないものに縋らないと別れる決心が出来ませんでした。
 
別れる決心をしてから、本当に別れを告げるまでは3か月ほどかかったような気がします。
 
ですが別れる決心をしてから、摂食障害になって、疎遠になってしまった友達たちが私の元に帰ってきて、そして十何年と会っていない幼馴染に再会してとても仲良くなったり…Kくんに依存しなくても楽しく生きていける環境がたった数週間ほどで出来上がりました。
 
そして友達に後押しをしてもらって、Kくんに別れを告げ私の3年間の彼氏依存生活が終わりました。
 
別れを告げるその時まで私はKくんが大好きでした。
別れてからも大好きでした。
 
ですが妊娠中、中絶当日、中絶後の苦しい時期、1番一緒にいてほしい時期に浮気をしていた事、そして供養に一緒に来てくれなかった事が、どんなに大好きでも私の中では許せなかった事でした。
依存していた彼氏と別れる決断が出来たことは、私にとっては1歩前進でした。
 
 

そして私の彼氏依存はアルコール依存に移行しました。

妊娠をきっかけに、摂食障害の症状はピタっと止まり、そしてアルコール依存になった2年間も摂食障害は私の中から消えていました。
 
また再発してしまいましたが…
 
 
摂食障害は完治が難しい病気と言われていて、私の経験上、治そう治そうと思えば思うほど、摂食脳が顔を出してくる気がします。
 
ですが、何かをきっかけで突然治る事があるのかもしれません。
それが何かは私にもわかりません。
当時の私にとってはそれが妊娠するという事でしたが、今の私にとっては違うかもしれません。
 
妊娠中の私は心がとても健康でした。
とても生きやすかったです。
 
なので、完治する方法はなくても、人それぞれですが、どこかに突然完治するきっかけが転がっているのかもしれないと思うと、少し希望が持てるようになりました。